島倉千代子死去、死因は肝臓がん。最近と若い頃の画像や歌も
歌手の島倉千代子さんが
11月8日に亡くなりました。
死因は肝臓がんでした。
また1人、偉大な方がこの世を去ってしまって残念です。
今日は島倉千代子さんの経歴を改めて
振り返ってみたいと思います。
今日(11月8日)の夕方にニュースを見ていたら、
島倉千代子さんが死亡したとの報道が流れてきました。
75歳だったそうです。
島倉千代子さんと言えば誰でも1度は名前を
聞いたことがあるほど有名な歌手で、
紅白歌合戦にも30回連続、通算35回の出場を果たしています。
このような偉大な方が次々に亡くなっていくのは
とても残念なことですね。
死因は肝臓がん
島倉千代子さんの直接の死の原因は肝臓がんらしいです。
今から20年前のことになりますが、
1993年の55歳の時にも島倉千代子さんは
乳がんを患って手術を受けるなど苦労が多かったのですが、
なんとか乗り越えて退院直後からライブを行うなど精力的に活動してきました。
今回も今回も乗り越えられるかと思いましたが、
残念ながらそうはならなかったようです。
デビュー当時の様子は?
さて、今日は島倉千代子さんの若い頃の様子も
少し振り返ってみたいと思います。
30年連続で紅白歌合戦に出場するだけあって、
昔から歌の実力も相当ありました。
15歳で音楽学校に入りその翌年、
コロムビア全国歌謡コンクールで優勝しました。
そしてその翌年、
16歳という若さで歌手デビューを果たします。
さらにデビュー曲「この世の花」がいきなり大ヒットして、
半年で200万枚を売り上げるまでになりました。
この世の花のジャケット写真
ちなみにこの一緒に収録されている「東京だョおっ母さん」も
150万枚を売上るという大ヒットを果たしています。
うーん、若い頃からものすごい大成功を納めているんですね。
晩年の活動は?
若い頃から大活躍だった島倉千代子さんですが、
晩年になってもまだまだ勢いはありました。
49歳の時に紅白歌合戦30年連続出場という大記録を打ち立てると、
そのまま新曲「人生いろいろ」を発表して、
これが130万枚を売り上げる大ヒットになりました。
人生いろいろのジャケット写真
その後も時折紅白に出場するなどして、
様々な活動を続けていたようです。
デビュー当初から30年以上もトップを走り続けているなんて、
本当にすごい方だったんですね。
脅威の作曲スピード
僕はこの記事を書くにあたり島倉千代子さんのことを
色々調べてみたのですが、1番驚いたのが楽曲の数です。
その数なんとおよそ2000曲。
経歴を見てみると1955年23曲、1956年34曲、
1957年37曲、1958年33曲とものすごいスピードで
新曲を発表しています。
楽曲ってもっと時間をかけないと作れない物だと思ってましたが、
こんなことも可能なんですね。
さて、今回は少しですが島倉千代子さんの経歴を振り返ってみました。
偉大な人物がどんどんこの世を去ってしまうのは悲しいことですが、
これからの人物に期待するのも大切かもしれないなといった感じです。
感想あれば何でもいいので送ってくださいね。
ではまた次回。
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